サラサロメ_資料

【物語の舞台となる1890 年から1937 年のヨーロッパ】

1890 年から1937 年のヨーロッパは、大国間の緊張、第一次世界大戦、戦後の混乱、ファシズムの台頭などを含む、激動と変革の時代でした。この時期は、歴史的に大きく分けて以下の3 つに分けられますが、物語を語るミュシャはその時代を生きたのです。

<(1)1890 年〜1914 年:帝国主義と緊張の増大(「長い19 世紀」の終わり)>

• ヨーロッパ列強による植民地拡大競争(帝国主義の最盛期)
  ⚪︎イギリス、フランス、ドイツなどがアフリカ・アジアを分割

• 列強の軍拡競争と同盟網の形成
  ⚪︎国同盟(ドイツ・オーストリア=ハンガリー・イタリア)
  ⚪︎三国協商(イギリス・フランス・ロシア)

• 国内では産業発展と社会運動
  ⚪︎労働運動・社会主義運動が台頭
  ⚪︎技術革新(電気、電話、自動車、映画など)

●象徴的な出来事:
• 1890 年:ビスマルク辞任 → ドイツの外交方針が攻撃的に転換
• 1905 年・1911 年:モロッコ危機(独仏対立)
• バルカン戦争(1912–13):オスマン帝国の後退と民族主義の台頭

<(2) 1914 年〜1918 年:第一次世界大戦>

• 1914 年:サラエヴォ事件(オーストリア皇太子暗殺)をきっかけに戦争勃発
• 主な対立軸:中央同盟国(ドイツ・オーストリアなど) vs 協商国(英・仏・露・伊・米など)
• 塹壕戦、化学兵器、大量死傷という近代戦争の原型
• 総力戦によって、国家・経済・社会が疲弊

●1917 年:
• ロシア革命 → ソビエト連邦が誕生(世界初の社会主義国家)
• アメリカ参戦 → 戦局が決定的に協商国有利に

●1918 年:
• ドイツ・オーストリア敗北、戦争終結

<(3) 1919 年〜1937 年:戦後混乱とファシズムの台頭>

●戦後の再編
• 1919 年 ヴェルサイユ条約:
  ⚪︎ドイツに厳しい賠償金と領土削減(後の不満の火種に)

• 新興国家の誕生:
  ⚪︎オーストリア=ハンガリー帝国やオスマン帝国の解体
  ⚪︎ポーランド、チェコスロヴァキア、ユーゴスラビアなどが独立

国際連盟の設立:集団安全保障を目指すも実効力に乏しい

●不安定な平和と大恐慌
• 経済:戦後復興の遅れとインフレ(特にドイツ)

• 1929 年:世界恐慌 → ヨーロッパにも波及、失業と不満増大

• 各国で民主主義が揺らぎ、極右・極左勢力が台頭

●ファシズムの台頭
• 1922 年:ムッソリーニ政権(イタリア)

• 1933 年:ヒトラー政権(ドイツ)
  ⚪︎ヴェルサイユ体制への反発とナショナリズムによる政権掌握

●1936〜1937 年:
• スペイン内戦(民主政権 vs フランコのファシズム)勃発

• ドイツ・イタリアはフランコ支持で介入

この時代は「19 世紀的な世界秩序の崩壊と、20 世紀型の危機(全体主義・世界大戦)への移行」する時代で、1890 年から1937 年のヨーロッパの芸術は、近代から前衛へと大きく移り変わる、非常に豊かで革新的な時代でした。美術・音楽・文学・演劇など、あらゆるジャンルで旧来の価値観が崩れ、新しい表現が次々と生まれたのです。

<美術(視覚芸術)>

●1890 年代:ポスト印象派とアール・ヌーヴォー
• ポスト印象派:ゴッホ、ゴーギャン、スーラ、セザンヌ
  ⚪︎印象派の色彩や筆致を受け継ぎつつ、構成・象徴・内面表現を追求

• アール・ヌーヴォー:ムハ、クリムト、ガレなどが装飾芸術や建築で活躍
  ⚪︎曲線美と自然モチーフによるデザイン運動
  ⚪︎有機的な曲線(植物、女性の髪、蔓など)
  ⚪︎装飾性・工芸性の重視
  ⚪︎美術と日常(ポスター、家具、建築)との融合

アール・ヌーヴォーにおけるアルフォンス・ミュシャの役割は、この芸術運動の視覚的象徴を形作った中心的存在の一人として非常に大きなものがあります。特に、ポスター芸術と装飾デザインの分野で、アール・ヌーヴォーの特徴的なスタイルを確立し、広めた功績は絶大です。

① ポスター芸術の革新者
• 1894 年、女優サラ・ベルナールのためのポスター《ジスモンダ》で一躍有名に。
  ⚪︎これが「ミュシャ様式(Style Mucha)」の始まり。
  ⚪︎流れるような曲線、華麗な衣裳、植物モチーフ、繊細な色彩が特徴。

② アール・ヌーヴォーの代名詞となるビジュアルを創出
• ミュシャのポスターは、アール・ヌーヴォーの美のイメージそのものとされる。
• 特に《四季》《星》《黄道十二宮》《花》シリーズなどが人気。

③ 大衆芸術と商業美術の橋渡し
• ポスター、メニュー、カレンダー、パッケージなど商業媒体に芸術を導入。
• 芸術と日常生活を融合させるアール・ヌーヴォーの理念を体現。

④ 国際的名声と拡散
• パリで活躍した後、アメリカ・チェコスロヴァキアでも創作活動を行い、アール・ヌーヴォーの国際的普及に貢献。ミュシャはアール・ヌーヴォーの「顔」をつくった芸術家であり、彼の作品は装飾美術とポスターアートの可能性を大きく広げました。
アール・ヌーヴォーがもつ官能性、神秘性、自然との調和といった要素を、最も洗練された形で視覚化した存在といえます。

●1900〜1914 年:前衛芸術の胎動
• フォーヴィスム(野獣派):マティス、ヴラマンク
• キュビスム(立体派):ピカソ、ブラック
• 表現主義:ムンク、ココシュカ、ノルデ
• 未来派:マリネッティ、ボッチョーニ(機械や速度、都市を称賛)

●1914〜1918 年:第一次世界大戦と芸術の転換
• 戦争によって芸術家の多くが戦場へ、または反戦に向かう

• ダダイズム:ツァラ、マルセル・デュシャン(反芸術・反秩序)
  ⚪︎戦争の不条理に対する芸術的な「無意味」の主張

●1919〜1937 年:シュルレアリスムと抽象芸術
• シュルレアリスム(超現実主義):ダリ、マグリット、ミロ
  ⚪︎夢・無意識・非合理を重視し、精神の解放を図る

• 抽象芸術:カンディンスキー、モンドリアン、マレーヴィチ
  ⚪︎具象を捨て、形・線・色そのものによる表現へ

<音楽>

主要潮流:
• 印象主義音楽(ドビュッシー、ラヴェル)

• 表現主義音楽(シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン)
  ⚪︎無調音楽や十二音技法の登場(伝統的調性の否定)

• 国民楽派の深化:シベリウス(フィンランド)、バルトーク(ハンガリー)

• ジャズの影響(1920 年代以降):ストラヴィンスキーやフランス六人組などに波及

<文学>

• モダニズム文学(意識の流れ・内面の分裂)
  ⚪︎ジョイス、プルースト、カフカ、ヴァージニア・ウルフ、トーマス・マン

ダダ・シュルレアリスム文学:アンドレ・ブルトン、トリスタン・ツァラ

戦争文学・不条理文学:レマルク『西部戦線異状なし』、カフカ『変身』

• ロシア文学:トルストイ以後、ドストエフスキーの影響を継ぎつつ、革命と体制を描く(ブローク、マヤコフスキー)

オスカー・ワイルドは、19 世紀末のヨーロッパ文学界において、美と皮肉を武器に、芸術と道徳、社会と個人の関係を鋭く問いかけた稀有な文学者です。ワイルドが文学界において果たした役割を5つにまとめます。

●1. 唯美主義(アステティシズム)の旗手
• スローガン:「芸術のための芸術(Art for Art’s Sake)」

• 芸術は道徳の手段であるべきではなく、美そのものを目的とするべきだという立場。

• この理念を戯曲・小説・評論を通じて体現。

• 唯美主義は、ヴィクトリア朝の厳格な道徳観や実用主義的価値観への強烈なカウンターとなった。

●2. 逆説と機知を武器に社会を批判
「社会は善をほめそやすが、成功には耐えられない」など、鋭い逆説とユーモアを用いた批判精神が特徴。

• 戯曲『ウィンダミア卿夫人の扇』や『真面目が肝心』では、社交界の欺瞞と道徳的偽善を風刺。

●3. 近代戯曲の礎を築く
イギリス戯曲界では、シェイクスピア以後の最大の劇作家と評されることもある。

• 喜劇の中に社会批評や深い心理描写を織り込んだ点で革新的。

• その影響はバーナード・ショーやノエル・カワードにも及ぶ。

●4. 自己表現と「装い」の文学的探求
• 小説『ドリアン・グレイの肖像』(1890)は、美と若さへの耽溺、道徳と快楽の葛藤を描きながら、自己と仮面、欲望と破滅というテーマを扱った。

• アイデンティティと偽装、二重性というテーマは、のちの20 世紀文学に大きな影響を与えた。

●5. 私生活とその文学的余波
• 同性愛(当時は「背徳」とされた)を理由に逮捕・服役。

• 獄中で書かれた手紙『獄中記(De Profundis)』や、釈放後の長詩『レディング牢獄のバラッド』では、苦悩と贖罪、内省が強く表れる。

• 文学において「自我の告白」としての作品を開いた点で、20 世紀の自己言及的文学の先駆ともいえる。

オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ(Salome)』について

ワイルドの『サロメ』は、その文学的・演劇的・象徴的価値において高く評価されつつも、その挑発的な内容と形式により、当初から賛否両論を巻き起こしました。

『サロメ』とは(概要):
• 執筆年:1891 年(フランス語で執筆)

• ジャンル:一幕の象徴主義悲劇

• 登場人物:サロメ、ヘロデ王、ヘロディアス、ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)ほか

• 内容:
 ⚪︎サロメはヘロデの継娘。彼女は預言者ヨカナーンに執着するが拒絶され、復讐としてその首を求める。
 ⚪︎欲望、拒絶、死、エロティシズムが交錯する物語。

評価①:
当時の評価(1890 年代)

●厳しい批判と検閲
• イギリスでは上演禁止(1892 年)
→その理由は「聖書人物の舞台登場は禁止されている」という検閲法。

• モラルや宗教への挑戦と見なされ、スキャンダラスな作品とされた。

●フランス・象徴主義の評価
• 同時代のフランス象徴主義者(モーリス・メーテルリンクなど)からは、文学的・象徴的価値を持つ詩劇として一定の評価。

• エロティシズムと死、視覚と言葉の緊張感などが前衛的とされた。

評価②:
演劇史における価値

●舞台美術・演出の革新性
• アール・ヌーヴォーの美術家 オーブリー・ビアズリーによる挿絵(1894)は、サロメのビジュアルイメージを決定づけた。

• サロメ役の女性(例:サラ・ベルナール)に象徴される「ファム・ファタール」像の典型を創出。

●オペラ化による再評価
• リヒャルト・シュトラウスによるオペラ化(1905)により世界的に注目される。
  ⚪︎狂気とエロスの音楽化が高く評価され、20 世紀オペラの金字塔とされる。
  ⚪︎このことで戯曲版『サロメ』にも再注目が集まった。

評価③:
20 世紀以降の文学的・思想的評価

●文学批評の視点から
• 欲望と禁忌、視線と権力のテーマにより、フェミニズム批評や精神分析的批評でも注目。

• 「男性の言葉=ヨカナーン/女性の欲望=サロメ」の対立構造。

• 終盤の「首への口づけ」は、美・死・欲望の統合的象徴として議論される。

●クィア文学としての評価
• ワイルド自身の性的アイデンティティと重ねられることも多く、「異端者」同士の愛の悲劇として読み解かれる。

• 権力と欲望、身体と言葉の関係を問い直す作品として位置づけられる。

『サロメ』に言及した著名人の言葉

カミーユ・パリヤ(文化史家)
「サロメは、19 世紀末のすべての欲望と背徳の象徴である。」
「サロメは19 世紀の欲望の結晶体だ。ワイルドはその結晶をあえて割った。」

リヒャルト・シュトラウス(作曲家)
「この戯曲は音楽そのものだ。私はただ、それに耳を傾けて譜面に写しただけだ。」

オーブリー・ビアズリー(挿絵画家)
「サロメは夢と悪夢の混合物。彼女を描くにはインクより毒がふさわしい。」

W・B・イェイツ(詩人)
「サロメは象徴主義の寺院の柱石である。詩劇はこのように語るべきなのだ。」

ジャン・コクトー(詩人・劇作家)
「ワイルドのサロメには、沈黙すら詩になっている。」

トーマス・マン(作家)
「この作品には、デカダンスが道徳を超越する瞬間がある。」

ステファヌ・マラルメ(詩人)
「サロメは黙示録の詩劇だ。言葉の薔薇が血の中で咲いている。」

マルセル・シュヴァリエ(仏演劇批評家)
「サロメは一幕劇という形式の限界を美しく突き破っている。」

スティーヴン・フライ(俳優・作家・ワイルド研究者)
「『サロメ』には、ワイルドの皮膚の下にある本音が書かれている。」

マルグリット・ユルスナール(小説家・批評家)
「この戯曲は、神と肉と死を一つの口づけに融合させた。」

ロマン・ロラン(作家・思想家)
「サロメは現代のアンチゴネだ。神と欲望の間で引き裂かれた魂。」

クロード・ドビュッシー(作曲家)
「あの戯曲には音楽が聴こえる。しかもそれは血の音だ。」

ピエール・ルイス(詩人・作家)
「あのサロメの一言一言が、まるで花弁に潜んだ毒のように感じられる。」

コレット(作家)
「ワイルドの女はすべて男を超えているが、サロメは神すら超えてしまった。」

ベルトルト・ブレヒト(劇作家)
「サロメは観客の眠りを破壊する。道徳に浸る暇を与えない劇だ。」

ジャン・ジュネ(作家・劇作家)
「サロメは欲望に身を焼く天使だ。彼女の罪は、美しすぎることだ。」

ポール・クローデル(詩人・外交官)
「私はワイルドを嫌っていたが、サロメだけは何かに触れていると感じた。」

ジャン・ポール・サルトル(哲学者)
「サロメは欲望と信仰の間にある不条理そのものだ。」

サラ・ケイン(現代劇作家)
「ワイルドはサロメで、女の欲望に真正面から立ち向かった最初の男かもしれない。」

パティ・スミス(詩人・ロック歌手)
「私の中の少女が『サロメ』を読んだ時、死さえもロマンチックに見えた。」

エドゥアール・ストゥーリグ(劇評家、「Les Annales du th..tre et de la musique」編集者)
「この作品は雄弁な修辞の良品だが、脇役の台詞があまりに重複していてやや気になる。」

アンリ・フキエ(『ル・フィガロ』劇評家)
「これはロマンチック文学の練習問題だ。悪くないが、少し退屈だ。」

『ル・タンプ』紙 評者
「最も興味深いのはその文体だ。作家は言葉を装飾的かつ詩的に操っている。」

『ラ・プリューム』紙
「サロメはほぼ詩の持つ資質のすべてを備えている。文章は滑らかで、比喩に満ち、豊かなイメージが語られる。」

タイムズ紙(英国)
「血と残虐さの配置。モラルと聖域の台詞をひっくり返すその大胆さは冒涜的で不快だ。」

パル・マール・ガゼット紙(英国)
「この戯曲はオリジナルからは程遠い。ほか作家、特にフローベールやメーテルリンクからの影響が濃い。」

ニューヨーク・サン紙
「血にまみれた退廃。これを人前で上演するのはエロティックでありながら、不健全だ。」

ニューヨーク・トリビューン紙
「退廃的な戯曲。論じる価値もないと思う。」

モーリス・ラヴェル(作曲家)(『サロメ』から着想を得て他の作品に)
「音楽の始まりを、ワイルドの詩が導く。」

ジョーリス=カール・ユイスマンス(作家)
「“不死のヒステリアの女神”なるサロメの像は、ユイスマンスが見た悪夢と一致する。」

<演劇・舞台芸術>

• 象徴主義演劇:メーテルリンク、イプセン晩年

実験的演劇:
  ⚪︎クレア・ヴェスト、マックス・ラインハルト(照明・構成の革新)
  ⚪︎ベルリナー・アンザーンブルやバウハウス系舞台(身体性と空間性の探求)

政治劇・社会派:ブレヒト(叙述劇・異化効果)など

• バレエ・リュス(ロシア・バレエ団):ディアギレフ主宰、ストラヴィンスキー、ニジンスキーと連携

サラ・ベルナールは19 世紀末から20 世紀初頭にかけて活躍したフランスの女優であり、近代演劇の黎明において極めて重要な役割を果たした人物です。その影響力は演技、舞台芸術、演劇経営、さらには女性の職業的地位にまで及びました。以下に、彼女の演劇界への主な貢献と役割をまとめます。

●1. スター女優の原型を確立
サラ・ベルナールは「ディーヴァ(diva)」や「スター俳優」の概念を確立した先駆的存在でした。演劇だけでなく、写真、絵画、広告に登場することで、俳優が芸術と大衆文化をつなぐ象徴となる道を切り開きました。

「サラ・ベルナール以前には、俳優は劇場の一部だった。彼女以後は、俳優が劇場そのものとなった。」と言われています。

●2. リアルな演技から象徴主義的演技への架け橋
ベルナールは、19 世紀後半の写実主義的演技から、やがて象徴主義的・詩的演技へと変化していく時代の中で、両方の演技法を巧みに行き来しました。彼女の演技は過剰でありながらも強い説得力を持ち、多くの俳優に模倣されました。

●3. 劇作家との緊密な連携
エミール・ゾラ、ヴィクトリアン・サルドゥ、エドモン・ロスタンらの作品に主演し、当時の新作戯曲の成功に大きく貢献しました。また、彼女の名声により作品が国際的に広まることもありました。

●4. 女性による劇場経営の先駆
ベルナールはパリの「アンビギュ劇場」や「サラ・ベルナール劇場」(旧・パリ市立劇場)を自らの名で経営。俳優でありながら自ら劇場のオーナーとして作品をプロデュース・演出・主演するという、前代未聞の存在でした。

●5. 国際的名声と巡業の拡大
サラ・ベルナールはヨーロッパ、アメリカ、南米、日本など世界中を巡演し、「世界的演劇スター」の草分けとなりました。異なる文化圏でフランス演劇を紹介し、「フランス演劇=高貴・芸術的」というイメージを広めました。

●6. 男性役(男装)の革新性
彼女はしばしばハムレットなどの男性役を演じ、性別を超えた演劇表現の先駆者とも言われます。これは後のジェンダー論や舞台芸術における男装・女装演技の地平を切り開きました。

●7. 自己演出とパブリシティの天才
写真、ポスター、雑誌、彫刻などでの自己表現にも長け、特にアルフォンス・ミュシャとのコラボはアール・ヌーヴォーを象徴するビジュアルを生みました。現代で言う「セルフブランディング」の先駆者です。

●8. 演劇の芸術性と俳優の尊厳を高めた
ベルナールは女優という職業に芸術家としての重みを与え、演劇が「高尚な芸術」として評価される一因を作りました。女性俳優の社会的地位の向上にもつながりました。

目次